2017年9月16日 (土)

御殿坂 ~谷根千を歩きました!その3~

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 日暮里駅から谷根千の方に登っていく坂です。坂というほどでもないような気もしますが、かつては日暮里駅の下まで坂だったのでしょう。

 御殿坂の由来は、諸説あるようです。この坂は、荒川区と文京区の区境にあるそうで、双方の案内表示に書かれている由来が違っているとかいう話ですが、確認していません。

 白山御殿(将軍綱吉の御殿)が近くにあったからというところあたりは共通しているらしいのですが。

谷根千を歩きました記事一覧

 谷根千を歩きました!
 太田道灌像 ~谷根千を歩きました!その2~

 

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2017年9月15日 (金)

太田道灌像 ~谷根千を歩きました!その2~

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 谷根千を歩く前に、日暮里駅の反対側にある太田道灌像を見に行きました!

 太田道灌は、江戸城を作ったことと、落語の山吹の下りが有名ですが、詳細は今一つ知られていないような気がします。

 戦国時代は、応仁の乱からと言われていますが、太田道灌が活躍したころの関東は、さながらプレ戦国時代と言える状況。

 鎌倉公方、関東管領、あるいは古河公方といった勢力が入り混じり、関東管領であった上杉氏も分かれて争いを繰り広げました。

 この頃の話をドラマにすると面白いのではと思うのですが。

 太田道灌は、最期が少し気の毒なので、主人公としてはどうかなというところもありますが、それもまた、悲劇として良しでしょうか。(次の記事へ

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 谷根千を歩きました!
 太田道灌像 ~谷根千を歩きました!その2~
 御殿坂 ~谷根千を歩きました!その3~

 

 

 

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2017年9月13日 (水)

善国寺 ~早稲田から飯田橋まで歩きました!その14~

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 飯田橋から坂を上り、ちょうど中間あたりというイメージのある善国寺。ここまで来るとだいぶ飯田橋に近づいたたなという感があります。

 この写真の両側にある狛犬。実は石虎と呼ばれる虎なのです。一応、阿吽の形にはなっているようですが。

Imgp5377  ちなみに右側の阿型の石虎の台石の中断?に刻まれた「不」のような文字?は几号水準点。

 明治の初期にイギリス式の測量法にて測量が行われた際に、不朽物に刻まれたとのこと。

 しかし、明治17年にドイツ式の測量法を採用したことにより、過去の遺物となり、使われなくなったそうです。

 しかし、不朽物に刻まれたとの性格上、このような神社仏閣などのものは、現在でもまだ残っているものがあるとのことです。

 このあと、神楽坂を少し回り、一日の行程は終わり。歩きでのあるコースでした。

早稲田から飯田橋まで歩きました!記事一覧

 早稲田から飯田橋まで歩きました!
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 穴八幡宮 ~早稲田から飯田橋まで歩きました!その3~
 夏目坂 ~早稲田から飯田橋まで歩きました!その4~
 誓閑寺 ~早稲田から飯田橋まで歩きました!その5~
 来迎寺 ~早稲田から飯田橋まで歩きました!その6~
 新宿区立早稲田小学校 ~早稲田から飯田橋まで歩きました!その7~
 漱石山房記念館 ~早稲田から飯田橋まで歩きました!その8~
 宗参寺 ~早稲田から飯田橋まで歩きました!その9~
 早稲田から神楽坂へ ~早稲田から飯田橋まで歩きました!その10~
 AYUMI GALLERY ~早稲田から飯田橋まで歩きました!その11~
 赤城神社 ~早稲田から飯田橋まで歩きましたその12~
 筑土八幡神社 ~早稲田から飯田橋まで歩きました!その13~
 善国寺 ~早稲田から飯田橋まで歩きました!その14~

 

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2017年9月12日 (火)

筑土八幡神社 ~早稲田から飯田橋まで歩きました!その13~

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 赤城神社から続く大地の際にある神社です。

 嵯峨天皇の御代に、牛込に大変熱心に八幡神を信仰する翁がいました。ある時、翁の夢の中に神霊が現れ、「汝の信心に感じ跡をたれん」と言いました。翁がは目覚め、井戸のもとに行くと、松の木の上に白い旗のような雲が現れ、雲の中から白鳩が現れ、松の木に止まったとのこと。里人はその話を聞き、松の木に注連縄を結い、祀っていたが、その話を伝教大師が聞き、神像を祀ったとのこと。その際、筑紫の宇佐の宮土を礎としたため、筑土八幡と呼ばれるようになったとか。その後、上杉氏が社殿を整えたとか。

Imgp5361  伝承なので、細かいところにアレというところもないわけではありませんが。

 神社は、階段があるとなんとなく有難い感じになりますね。(次の記事へ

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2017年9月11日 (月)

赤城神社 ~早稲田から飯田橋まで歩きましたその12~

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  正安2年(西暦1300年紀元1960年)上野国大胡の豪族、大胡氏(のちの牛込氏。宗参寺参照)により、赤城山麓の赤城神社を分祀したのが、起源とのこと。弘治元年(西暦1555年紀元2215年)に現在の場所に遷座。

 天和3年(西暦1683年紀元2343年)には、幕府が江戸大社の列に加えたとか加えないとかいう、由緒ある神社とのことです。(次の記事へ

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2017年9月 9日 (土)

AYUMI GALLERY ~早稲田から飯田橋まで歩きました!その11~

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 正直、ボロ屋に見えなくもないですが、大正後期から昭和初期に英国で建築を学んだ建築家、高橋博氏により、自身のアトリエとして建てられた者との由。

 平成23年に有形登録文化財として登録。

 英国ハーフティンバー風というそうです。

 ある意味、神楽坂らしいというべきか。(次の記事へ

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2017年9月 5日 (火)

早稲田から神楽坂へ ~早稲田から飯田橋まで歩きました!その10~

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 大正6年に創業。現在は、活字鋳造から植字、印刷の全工程を行っているそうです。活字というのも最近は使われなくなってきているのでしょうけれども、活字の良さも見直され、名刺やブックカバーなどの注文もあるとの由。

 平成23年に新宿区の地域文化財に指定されたそうです。

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 次に寄ったというか、通りかかったのが、済松寺。

 通常、公開されていないお寺とのこと。

 3代将軍家光が春日局の縁者の祖心尼のために建てた寺との由。

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 そんないわれからか、瓦には葵の御紋が。

 ちなみにこのお寺のホームページは、開祖 祖心尼を前面に出していて興味深いものがあります。

 先に進み、生田春月旧居跡などを訪れます。あまり知らない人でしたが。

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 牛込天神町の交差点で早稲田通りが折れ曲がった感じで曲がっていき、しばらくいくと神楽坂の駅に着きます。

 近くにある商業施設「la kagu」。隈研吾建築都市設計事務所による設計で、昭和40年代に建てられた元の倉庫を活かした空間になっているとのことです。(次の記事へ

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2017年9月 4日 (月)

宗参寺 ~早稲田から飯田橋まで歩きました!その9~

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 早稲田通り方面にほど近いところにある宗参寺。こちらは、この辺りの旗本、牛込氏が創建したお寺です。

 牛込氏は、かつては大胡氏を名乗り、上野国を拠点にしていたが、その後、北条氏に仕え、武蔵国に移りました。ちなみに上野にいた当時の一族には、剣豪で有名な上泉信綱がいるそうです。

 その後、徳川家に仕え、旗本となりました。

 この寺を創建したのは天文13年(西暦1544年紀元2204年)だそうですから、北条氏に仕えていたころでしょうか。

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 この寺には、江戸時代の儒学者、兵法家 山鹿素行の墓があります。山鹿というと、忠臣蔵で大石内蔵助が山鹿流陣太鼓を使うシーンを見たことがありますが、近代期には、皇統一貫による卓越性を主張したということもあり、結構もてはやされたとか、そうでないとか。

 ちなみに、明治天皇への殉死で有名な乃木将軍は、山鹿素行に私淑しており、学習院院長時代、毎日ここに立ち寄ってから学習院に向かっていたとのこと。

 墓のそばには、今も彼の愛した梅ノ木「春日野」が植えられています。(次の記事へ

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2017年9月 3日 (日)

漱石山房記念館 ~早稲田から飯田橋まで歩きました!その8~

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 真新しい工事中の建物。この場所は、以前は漱石公園と呼ばれ、夏目漱石終焉の地でした。きたる9月24日には、漱石山房記念館としてオープンするそうです。

 9月24日は、漱石生誕150周年にあたるそうです。

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 漱石は、明治40年(西暦1907年紀元2567年)9月から、大正5年(西暦1916年紀元2576年)までこの地に住み、数々の作品を世に出したとのこと。

 自宅にて開かれた文学サロン「木曜会」には多くの門人が集まったそうです。

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 工事中の緑地には、真新しい芭蕉らしき植物が植えてありました。オープン時には、さらに大きくなっているのでしょうか。(次の記事へ

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2017年9月 2日 (土)

新宿区立早稲田小学校 ~早稲田から飯田橋まで歩きました!その7~

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 夏目坂を上り、道から路地に入って行くとある小学校。新宿立早稲田小学校は、復興小学校と呼ばれる当時の建築をそのまま引き継いでいます。

 関東大震災で、当時の東京市の小学校は、大きな打撃を受けました。東京市は、復興事業にあたり、不燃化を行うため、鉄筋コンクリート構造を採用し、都市計画に位置付け、避難所としての活用を構想するなどされました。

 この小学校は、昭和3年(西暦1928年紀元2588年)に建てられたものです。

 アーチ窓など西洋の城郭風の外観が特徴になっています。

Imgp5323  学校というのは、日々使うものですので、保存というのも大変ですね。

 また、都市部では、こういった大きなスペースは、貴重なもの。

Imgp5325  そんな状況の中、保存されてきたというのは、関係者の様々な努力があったのかなと推察します。

 学校を回り込むようにして、歩みを進めます。(次の記事へ

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