書籍・雑誌

2015年12月 6日 (日)

トマ・ピケティの新資本論を読みました!

 「21世紀の資本」とは趣の違った、新聞のコラムを集めた本です。

 「新資本論」などというと、なんかものすごい大著に聞こえますけどね。

 でも、ヨーロッパの実情がわかり、面白かったです。

 グローバルとか言う方々も、どうも、視線はアングロサクソン系しか見ていないように感じることは多いものです。

 ヨーロッパ諸国も欧米でしかありませんが、それでも、アングロサクソンのみを「グローバル」と称する狭い視野ではいたくないものです。

 21世紀の資本でも、諸国が協調した累進的資産税が提唱されていました。諸国が協調したの部分は、通貨が共通で、財政は各国というヨーロッパ特有の事情も反映しているようです。

 それにしても、ここで記述していることを日本に当てはめると、日本の制度は本当に金持ち優遇なのだなあと思います。所得税の課税ベースが広いことくらいでしょうか。それでもキャピタルゲインの分離課税というとんでもないもの(これは税率が通常最高税率が適用されればば問題はないのですが。)ありますし。

 資産課税なんてものは、固定資産税くらいしかないですしね。

 一度、そういう視点で諸制度を整理すると面白いかもしれません。

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2015年11月14日 (土)

いまさらですが、ピケティ「21世紀の資本」を読みました!

 ピケティの「21世紀の資本」を読みました。

 ピケティブームもだいぶ下火になったようで、最近はあまり聞きませんが。一方で、大反論のようなものも聞こえてこない気もするのですが。

 こんな時期になったのは、さすがに本の値が張るからです。

 ネット検索すると3000円代くらいの出物もあるようですが。

 要は図書館で予約して借りたということなのですが、予約順が100番以上あり、回ってくるのに時間がかかったということです。

 内容の感想としては、さすが評判になっただけのことはあるなというもの。風格もあり、名著の雰囲気も備えていそうな感じがします。

 有名となったフレーズ r>gは下記のように表現されているのが印象に残りました。

不等式r>gは、過去に蓄積された富が産出や賃金より急成長することだ。この不等式は根本的な論理を示している。事業者はどうしても不労所得生活者になってしまいがちで、労働以外の何も持たない人々に対してますます支配的な存在となる。いったん生まれた資本は、産出が増えるよりも急速に再生産する。過去が未来を食い尽くすのだ。

 日本でも、収監されたにも関わらず、不法な取引で稼いだ資本を原資に高級マンションに住み講演生活というような人がいないでしょうか。

 一旦、蓄積された富が持つ恐ろしさです。現代社会の持つ非倫理性はここから来ているのかと感じました。

 また、興味深い指摘の中で、公的債務に関するものがあります。公的債務は、当然返済が必要となり、税金を納める人から公的債務を買う人への再分配へのバックドアになるとの指摘がありました。

 空前の発行残高がある日本の国債を考えると、日本は日本人が思う以上に、金持ち優遇の国なのかもしれません。

 そして、そのような仕組みから生じてくる世襲的な「不労所得生活者」とそれをめぐる人々のおぞましい生態をバルザックなどの作品を引用し、表現しています。

 そして、そのような状況に対して提示しているのが、累進資本税。

 資本税とは財産にかける税です。一般的な感覚だと、税金は所得にかかるもの。持っているだけで税金がかかるというのは、固定資産税や自動車関係のものくらいしか思いつきませんが。

 銀行預金や株式など、資産全般にそれをかけていくというものです。

 確かに、資本が生み出す格差を考えると合理的と言えるのかもしれません。

 累進性をきちんと設定し、実質的な課税点が高く設定されるようにすれば、弊害も少ないでしょう。

 これらは投機が大好きな方々にはえらい不評な発想でしょうね。しかし、投機が社会にもたらしている害悪と効能を考えるに、ぜひ必要なことだと思われます。

 そもそも優秀な人材が、何の価値も生産しない投機に集中する社会そのものが、不幸かつ非効率な社会なのでしょうから。

 いつの間にか下火になってしまったピケティブームですが、ぜひオリジナルを読んでいただきたいものです。


 
 

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2015年5月 6日 (水)

「空家問題 1000万戸の衝撃」を読みました。

 空家問題というと、最近法律ができた「特定空家」のイメージが強いですが、この本での観点は違います。

 この手の本は不動産関係の専門家が書くせいもあるのでしょうが、貸家や貸部屋も含めた空き家の増加という視点です。

 特定空家というのは、放置された空家で周囲の迷惑になるような空家のことですが、最近、「空家対策の推進に関する法律」というのができました。詳細は下記にて。

http://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/house/jutakukentiku_house_tk3_000035.html

 しかし、この本の著者は特定空家の対策等は、対処療法と否定的です。空家の増加は、人口高齢化の進展、人口減少等に必然的に起こるものとのことだからです。

 つまり、人口が減っているにもかかわらず、新築住宅の増加を図るような政策を続けていたら、必ず家が余ってくるとの視点です。

 しかし、その対策として、市街地再開発手法の導入などを提案していましたが、今一つピンとくるものがありませんでした。住宅の問題は、人々の人生に大きな比重を占めるにも関わらず、そこの転換をいうには、一人ひとりの暮らし方の姿というのが見えないせいかもしれません。

 また疑問なところは、東京などの大都市圏でも空家が進行中とあるのですが、それが表面的に見えてこない点。確かにメインテナンスが行われておらず、投資対収益の関係で放置されがちな物件をたまに見ることはあるとしても、それは放置に対してコストをかけるような仕組みが対処できるのではないかと思うのです。

 しかし、この本の著者はそういった政策に批判的でした。

 この本では、「日本の骨組みを変える」とかなり力みが入った表現でこの問題を考えているようです。不動産というものが、今の社会に大きな影響を持っていることにあらためて実感させてくれる本でした。

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2015年1月21日 (水)

「情報倫理 ネットの炎上予防と対策」を読みました!

 共立出版という出版社から出版されている本です。書きぶりからすると、どうやら大学の教科書のようです。

 インターネットの成り立ちから、社会心理学的な分析、インターネット上のサービス等の分析などを行っており、最後に具体的な炎上防止や事後対策について触れています。

 インターネット上の危険についても、炎上以外のもの(セキュリティ上の問題や犯罪など)も取り上げており、学生に対するネット安全教育というべき内容に仕上がっています。

 これだけ丁寧に作りこまれているのは、学生が何かしでかさないようにということでしょうか。

 この本での立場は、実名発信については否定的でした。芸能人や政治家、自営業者など、自らを売り込む必要のある人以外は意味がなく、危険だとの判断です。

 実名至上主義のような意見を言う人も時にはいますが、ある意味常識的な意見だと思います。

 ネットの活用についてのまさに常識的な教科書となるような内容です。

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2015年1月11日 (日)

甘えの擬態うつ病への対応と薬の処方

 一昨日に紹介した「擬態うつ病/新型うつ病 実例から見る対応法」では、甘えの擬態うつ病への対応として、「病気でないことを認める」「薬を飲まない」「休養は良し悪し」「努力を促す」「重大な決定による打開も必要」とあります。

 確かに甘ったれているだけの人間に、薬を処方するというのがどういうものなのかという気もしますが、その薬が習慣性があったり、止めることが困難な薬だったらどうなるのでしょうか。薬物乱用促進のごときの現象が現れるのでは?

 この本でも精神科医の安易な診断を批判する下りがありましたが。良し悪しとしている休養を簡単に勧めてしまう医師が多いのではないかと、休職、休業の増加という現象は気になるところです。

 以前、経済からみの雑誌にうつ特集があり、精神科医療に対してかなり批判的に書いている記事がありました。

 医療というのは、もともと具合の悪い人に対する対処です。うまくいくことも行かないこともあるでしょう。

 でも社会的に見て、そのカテゴリが不信の目で見られるとしたら、どうなんでしょうね。保険診療から外すという訳には行かないのか等の議論が出てのいいような気もします。

 

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2015年1月 9日 (金)

「擬態うつ病/新型うつ病 実例からみる対応法」を読みました!

 保健同人社という出版社から出ている本です。林光一先生という方が著者です。

 この手の概念は、「未熟型うつ病」の記事で紹介しました。

 この本を読んで、スッキリとした感じもします。この先生は、うつ病の範囲を厳格に捉えられていらっしゃるようで、うつ病でないものがうつ病と称されたりすることで、色々問題が生じているという立場なようです。

 本のあとがきには下記のように書かれています。

 うつ病という病気の良い点、それは「うつ病は、治る」ということです。  しかも、治るためにするべきことは、簡単です。「薬を飲んで休養を取ること」です。(中略)抗うつ在が発見されてから、(中略)治療法は目覚ましく進歩しました。そして確立されたのが「薬を飲む、休養を取る、がんばらない」を中心とするうつ病の治療の原則です。(中略)けれどもあろうことか、日本社会の状況の方が変わってしまいました。擬態うつ病の誕生と増殖です。うつ病でないものがうつ病とされたり、うつ病と称されたりすることで、いったい真のうつ病とはどのようなものかが、曖昧になってしまっているのです。その結果は(中略)何十年もかかって確立された、うつ病への治療法への信頼が揺らいでいます。(中略)間違っているのは、「うつ病への治療法」ではなく、そもそもその人が「うつ病」であるとの認識の方なのです。

(中略)

擬態うつ病という名称は、(中略)何か特定のものを指すわけではありません。(中略)うつ病でないのにうつ病とされているものの総称です。

 要は大うつ病でない甘え、適応障害や人格障害などをうつ病と称することに対する弊害を言われているようです。職場のメンタルヘルス研修などで、教わる対応は、あくまで「うつ病」に対する対応。「うつ状態」などという違う中身の診断で、同じ対応を取ることの弊害も記述されています。

 具体的にはケースバイケースの部分もあり、それについても記述されていいます。タイトルどおり「実例から見る対応法」ですので、説得力が十分にありました。

 確かに自責感のない「うつ病」というものに対し、甘い対応を行うことが社会に広まってしまっているきらいはあるのかもしれません。

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2014年12月21日 (日)

「なぜ日本の公教育費は少ないのか」を読みました

 まず読んでみてびっくりするのが、参照文献の多さ。ページごとに(○○年○○)と記載した内容の多いこと多いこと。

 こんなに多いと著者のオリジナルはと若干心配にはなりますが、なかなか興味深い本でした。

 タイトルから見て、教育関係者の我田引水?という印象もあったのですが、社会保障等も視野に入れた財政論といった趣。

 特に、いわゆる左翼的な主張とは一線を画しており、「公」の観念を強調しているところは共感できます。

 「社会主義や共産主義はそもそも経済活動を制御する思想であり、そこには必ず政府が介在する。そして社会全体にサービスを行き届かせようと思えば、広い負担が必要となる。ところが当座、一旦は広く税という形で負担してください。その分これだけのサービスを還元します。その仲介を政府が行います、という発想ではなく、富をむさぼる一部の富裕者と結託した政府が人々から収奪していてけしからん、という特定の「権力層」を敵とみなすような発想となってしまう。そこでは誰もが参加する、という「公」の観念は薄れ、むしろ社会の内部に「敵」を生み出し、政府はもてる者に多く支払うよう仕向けよとの姿勢に終始してしまう。」

 そして、このような姿勢が広く共感を呼ぶことはないと喝破しています。

 社会サービスを求めるのであれば、一定の費用はかかるという当たり前のことも冷静に言っています。「公務員数を減らす」「政府の無駄をなくす」などという主張は、ポピュリズムに近いのでしょう。

 そのあたりをOECDの統計等を用いて、一つ一つ冷静に論じているところが、面白いところです。

 ただし、ならばどうするかという視点は今一つ少ない感がありました。この本はあくまで現状分析ということなのでしょう。

 一つ気になるのは、冒頭でもふれた膨大な参考文献。こちらの参照がいわゆる学術論文スタイルの(○○年 ○○)という表記だとほとんど追跡は困難ということ。象牙の塔ではそれは良いのでしょうが、現代の一般向け書籍としてはどうかなあ。少なくとも巻末の参考文献との関係を整理くらいしてもらえると良いのでは。

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2013年1月 9日 (水)

世代間格差を読みました

 ちくま新書の世代間格差 人口減少社会を問い直すを読みました。

 世代間格差とか、世代間搾取はよく言われることですが、本で読んでみるとなるほどと思う点とホントというところがそれぞれありました。

 いずれにしても、今後の社会を考える上で重要なキーワードではないかなと思います。

 

 

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2012年4月14日 (土)

八甲田山 死の彷徨を読みました。

 昔、映画になって一世を風靡したお話ですね。「天は我を見放したか」「寝てはいかん。寝たら死ぬぞ」などは、流行語になった記憶があります。

 私は、映画は見ていなかったので、原作を読んでみようと思っていたのですが、今回、初めて読むことにしました。

 小説では、日露戦争前夜にて、日露の緊張が高まる中、第4旅団長が青森第5聯隊と弘前31聯隊に対し競わせるように山岳雪中行軍を命じたとの設定になっています。

 下記のサイトでは、2つの行軍は別の計画であるとの立場をとっており、その立場からするとこの話は、あくまで小説であり、史実とは異なるということになります。

http://homepage3.nifty.com/ki43/heiki8/hakkouda/hakkouda.html

http://toshibos-museum.com/hakkouda_TOP.htm 

 弘前31聯隊では指揮官となった徳島大尉が隊員を厳選し少数精鋭としたのに対し、青森第5聯隊では指揮官の神田大尉は、細事にわたり大隊長の山田少佐の指揮を仰がなければならない状況でした。

 この小説の大部分は、山田少佐の介入による指揮系統の混乱(?)を描くことに力点がおかれています。指揮系統の混乱との表現がありますが、混乱というより、仕事をまかせない上司ということになるのでしょう。上職位のものが、下職位のものの権限を奪うということは、上職位のものが自分の仕事をしていないということにつながります。つまり少佐が大尉の仕事を奪うことによって、少佐は大尉の役割しか実は果たしていなかったということなのです。雪山への対応といった細部の研究を行っている時間はないため、次々と誤った判断を行っていきます。

 権力関係で規定された議論は、まともなものにはなりにくいといった特色があります。例えば、神田大尉が雪中行軍を安易に考えているものが多いため、出発に際しての諸注意の進言をするシーンがありました。しかし、山田少佐は皆が準備で忙しいとあっさり却下します。「皆が準備で忙しい」という部分的な「正しさ」で、「雪中行軍を安易に考えているものが多い」との懸念を取り上げないとの判断です。しかし、その懸念に対しては何も手を打たれていないわけですので、議論としては成り立っていません。権力関係の中では、そのままスルーしてしまう特色があるのです。

 この件は、装備の貧弱さが部隊に大きな被害を生じさせたことの遠因となりました。

 新田次郎さんは、こういう人物や人間関係を描きたかったのでしょう。山田少佐の判断がことごとく失敗していく様が描かれます。

 そのほか、案内人に対する士族(軍)の差別意識等もテーマになっているように感じましたが、無理があるのが、軍の人体実験との記述です。

 先に述べたように、設定そのものが、小説独自なのにもかかわらず、軍自体の方針のように書いているからです。軍の非人間性を描きたかったのでしょうが、本当の意味でのその側面は、訓練時には現れないでしょうから、かなり無理があるなと感じました。

 もうひとつ感心しなかったのが、時折、史実の人名を出していることです。これは小説として、かなりの脚色をしているのにも関わらず、作品の中に史実の人名を出すのは、不公平ではないでしょうか。小説はルポルタージュではないので、史実との関連性を示すことはストイックであるべきです。細部の脚色は、書いた本人にとっては細部かもしれませんが、見方によっては、重要な要素になることもあるかもしれないからです。

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2012年1月 7日 (土)

ドラッカー マネジメントを読んでいます。

 図書館から借りては返しで、もう数ヶ月になります。上中下巻があり、人気のある名著かつ「もしドラ」の話題性もありで、予約しても1~2ケ月待ちということもあるので、なかなか読み終わりません。

 名著といわれるだけあり、内容もなかなか深いものがありますが、特に良いと思うのは文章ですね。翻訳者が良いのか、原著が良いのかはわかりませんが。短い文で次々と畳み掛けるように論理を展開していきます。

 パラグラフがいくつか進んだところで、実例を入れるというスタイルを取っており、そこが論旨を理解しやすい原因かと。

 また予約が取れたようです。今度こそ読破できるかしら?

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