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2019年8月 4日 (日)

”憎悪表現”と表現の自由 表現の自由を主張する前に気が付くべきことがあるのでは

 愛知のお粗末なイベントのニュースを見ました。憎悪を表現するような「作品」があるとき、憎悪を向けられた方は反発する。当たり前のこと。

 反発の仕方が不法なものであってはならないが、それは当然予想されること。それを指して、表現の自由を主張するのは、さすがに変なのですが、短絡的な捉え方をする方々もいらっしゃるようで。

 それは、ヘイトスピーチを展開する側と同じ論理に堕していることになると思います。

 まず、問題とするべきは、憎悪の表現をどういう場で展開するのが、許されるのか。そもそも憎悪の表現(身勝手な理屈で憎悪ではないと主張するのは通用しません。相手がどう捉えるかで展開が変わってくるのでしょう。)が適切なのかを問いかけるというのが、本来の場の主催者や「表現者」と称する方々たちの役割ではないかなと思いますが。

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