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2019年8月27日 (火)

マスコミの人権侵害事案 当局が圧力に負けてしまっては。


 「京都アニメーション」第1スタジオで起きた放火殺人事件で、京都府警は2019年8月27日、新たに犠牲者25人の名前を公表した。
それを受けて一部メディアは実名を報道したが、京アニの代理人弁護士は「大変遺憾」とのコメントを出した。

 あーあ。警察当局は守秘義務違反ではないですかね。

 事件の全体像がわからないなんて、言い分は、通らないですよ。

 遺族の意向にも関わらず、一方的に報道するなんていうのは、マスコミの暴力以外の何物でもありません。

 家族の状況によっては、死亡自体を伏せるということもありうるはず。公表の可否を判断するのは、警察でもマスコミでもなく、遺族自身のはずです。

 悪しき前例になりましたね!

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2019年8月19日 (月)

容疑者の身勝手な主張を垂れ流すマスコミに違和感

 あおり運転の確保時の映像が繰り返し報道されています。

 本人の異常性、異様さを伝えようとの考えもあるのかもしれませんが、犯罪者側の身勝手な主張を伝える機能を果たしてしまうのは、いかがなものかと思います。報道してはいけないという内容ではありませんが、繰り返しというのは、ちょっとね。

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2019年8月18日 (日)

きゅうりとグリーンカーテンその後

Dsc_0531

 最近、記事を書く頻度が落ちてきているので、前に何書いたかなというのを忘れてしまっている状態なのですが。

 とりあえず、キュウリのその後です。

 その後、2回、収穫できたのですが、脇芽が出てこず、そのあとが続きません。

 枯れてはいないのですが、これ以上、無理なのかなあという感じです。

 合わせて植えたサンシェードブルーや昼顔が茂っているので、グリーンカーテンの機能は果たしていますが、不思議なことにこちらも花は咲いていない様子。

 今年は、ルーフ状の部分のネットをしまい込んでしまったらしく、今のところ張れていません。

 せっかく茂っているのにもったいないなという気もしないでもないですが。

Dsc_0535

2019きゅうり関係の記事

 きゅうりを植えています。
 早くもきゅうりの雌花が咲いています。
 きゅうり収穫第1号
 きゅうり収穫第2号

白花昼顔とサンシェードブルー 記事一覧

 白花昼顔とサンシェードブルーを植えました!
 ネットを張りました!

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2019年8月15日 (木)

被害者名公表は、遺族の意向に沿うべき。むやみに公表を主張するマスコミは遺族の権利を侵害している!

 昔、風俗店がある雑居ビルに対し、放火が行われ、多数の被害者が出た事件がありました。

 犯罪被害も様態によっては、(本人に問題行動がなくても)あらぬ誤解等で、遺族が苦しむこともあり得ます。

 京アニの被害者名簿非公表で、一部の学者やマスコミなどが、公表すべきと主張しているそうですが、とんでもないこと。

 あくまで公表、非公表は、遺族の意向に沿うべきで、原則公表などありえません。

 原則公表を主張する輩は、自らの権利侵害する性向を自覚すべきと考えます。公共の利益など主張する資格があるのでしょうか。自らの商売に利することだけを考えているように見えてしまいます。

 警察当局は、それらの圧力にめげずに、しっかりと遺族に寄り添った対応を行っていただきたいものです。

 

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2019年8月13日 (火)

7日目にようやく駆除要請なんて、遅すぎない?

 南区の住宅街では6日夜から連日クマが目撃されていて、12日朝に墓地の近くにクマが現れたことから札幌市が12日に初めて猟友会に出動を要請しました。ハンター3人が住宅街での警戒を続けています。

 うーん。さすがに遅すぎないですか。1週間近くたってから駆除要請というのは。人身事故が起こってからでは遅いと思うのですが。

 クマは電気柵で100%防げるだとか、エサ不足のためにドングリを山に蒔こうだとか、現実を踏まえないことを言うような輩がいるために、そういうことになっているのかなあ?人馴れした新世代クマによる事故が相次ぐ中、事故が生じそうな際の素早い駆除は不可欠だと思うのですが。遅い対応が、鹿角市(熊によるヒトの食害事件)のようなことにならないことを祈ります。

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2019年8月 4日 (日)

”憎悪表現”と表現の自由 表現の自由を主張する前に気が付くべきことがあるのでは

 愛知のお粗末なイベントのニュースを見ました。憎悪を表現するような「作品」があるとき、憎悪を向けられた方は反発する。当たり前のこと。

 反発の仕方が不法なものであってはならないが、それは当然予想されること。それを指して、表現の自由を主張するのは、さすがに変なのですが、短絡的な捉え方をする方々もいらっしゃるようで。

 それは、ヘイトスピーチを展開する側と同じ論理に堕していることになると思います。

 まず、問題とするべきは、憎悪の表現をどういう場で展開するのが、許されるのか。そもそも憎悪の表現(身勝手な理屈で憎悪ではないと主張するのは通用しません。相手がどう捉えるかで展開が変わってくるのでしょう。)が適切なのかを問いかけるというのが、本来の場の主催者や「表現者」と称する方々たちの役割ではないかなと思いますが。

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