グローバルという嘘
新たしい元号「令和」で盛り上がっていますが、面白い記事を見つけました。
記事では、グローバル化と称し西暦で十分とする意見を批判します。
西暦はキリストの生誕年を基準にした暦法です。価値中立的な暦ではありません。イスラム教にもユダヤ教にも仏教にも、それぞれの宗教に基づいた暦年がある。元号を使うのは日本だけだという乱暴なことを言うひとがいますけれど、似たようなことは世界中どこの社会集団でもやっています。
キリスト教徒以外は、西暦を使う意味はありません。単純にいくつもの年代があるのが、面倒という話ならば神武紀元であっても同じこと。科学的根拠がないなどという妄言を吐く輩もいますが、キリストの生誕年も推計です。要は定めるということに意味があることを自称グローバルは理解していません。
グローバルという言葉は、「世界的であるさま」「全体を覆うさま」「包括的」だそうですが、西洋の価値観だけでは、グローバルの名に値しないですね。
世界のフラット化と簡単に言いますけれど、それは不可能だと思います。イスラム圏が存在するからです。 (中略)これからはアメリカ基準でグローバルにしますと言われても、そんな手荒な話は聞けないでしょう 。
実は、自称グローバルは、米国基準でしかない。米国が悪いということにもなりませんが、かといって各国の固有の文化をないがしろにするのは、論外かなと思います。
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