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2018年9月23日 (日)

神田橋 ~丸の内付近を歩きました!その5~

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 神田橋というと、首都高速の入口といったイメージが強いです。実際、入口がすぐに近接しています。

 神田橋の位置には、神田橋門(芝崎口門、神田口門、大炊殿橋門とも呼ばれたそうです。)があり、将軍が上野寛永寺に出かけるときの御成門となるため、厳重な警備だったとのこと。

Dsc_0016 寛永6年(西暦1629紀元2289)稲葉正勝によって構築され、この門の対岸には、江戸城構築のための資材を荷揚げるす河岸があったとのことで重要な門であったとの由。

 稲葉正勝といえば、春日局の息子ですね。幕政の激務がたたってか、38歳の若さで亡くなったとか。

 やはり重要な幕閣が担当したということなのですね。

 神田橋門は、明治6年(西暦1873紀元2533)に櫓門が撤去され、明治17年(西暦1884紀元2544)に木橋が架けられたとのこと。

 現在の橋は、昭和55年(西暦1980紀元2640)に架けられたものとのこと。

 神田橋を渡ったところに小さな公園に太田円三顕彰碑があります。この方は、関東大震災後の復興事業で、隅田川六大橋(相生、永代、清洲、蔵前、駒形、言問)の建設を主導した方です。復興事業における贈収賄事件にからみ、自殺したとのこと。もちろんこの顕彰碑には書いておりませんが。ちなみに、同じく検挙された彼の親友十河信二氏は、えん罪を訴え、無罪となり、のちに国鉄総裁となっています。(次の記事へ

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