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2018年8月12日 (日)

司法の「介入」 ~「ヒューマンエラーは裁けるかを読みました!その4~

 この本の主張としては、司法による介入は、望ましくない場合があるということです。司法による情報開示だったり、明らかになる事実は、「必ずしも率直で、完全な、偏りのない」ものではないと主張しています。

 まあ、有罪か無罪が一番の争いになる司法の場では、0.1%の責任でも、「無」罪ではないでしょうということになれば、当事者は、情報を開示したがらないのは、ある意味必然でしょうね。

 本書では、それに対し、逆の立場からの見方も記載しています。

 まず、被害者。被害者にとって、裁判手続きは、公の場で、自らの言い分を聞いてもらえるのが大きいというのが、本書の分析です。そして、被害者の多くは、裁判手続きが公正を実現しているとは思っていないとしています。(特に実務者に責任を押し付けるような解決に対して)そのことともかかわるのでしょうが、被害者が金銭的補償を求めているのではないとしています。

 これらの言い分のバックデータの記述が不十分なため、ちょっとそのまま鵜呑みにするのは困難ですが、そのように思っているということですね。ちょっと性善説すぎる主張なような気がします。被害者(遺族)の「失敗したでは済まされない」との感情を十分触れられていない気もします。

 次に司法の立場から見た記述です。というより、司法が問題の解決に適さないという論述に近いかなという印象でしたが。

 法は、人々の生命を脅かすことを禁止します。検察官が起訴すべき「過失」の法令上の規定は、故意に曖昧となっているとしています。

 このことは、複合的、かつリスクの高い(そもそも正常な業務そのものが、人々の生命を脅かすような性格をもつような)業務に対して、適用させることによる「公正でない」対応につながるとの主張なのでしょう。

 裁判官の側の課題も提示しています。本書は、裁判官の課題として「事実を認定する。」「事実に法律違反が含まれるか否かを判断する」「もし法律違反があれば、適当な懲罰ないし他の判決を決定する」の3つを掲げています。いずれも実務者の専門的な用語が飛び交う文脈の中での「公正」な判断にはならないと断じています。

 司法ではありませんが、もう一点だけ、見逃していてはいけない指摘がありました。起訴される当事者の雇用組織についてです。雇用組織が、いわば、とかげのしっぽ切り的に、全てを「腐ったりんごのせいにする単純な説明」を行うがありうることを示しつつ、それは、組織に対する倫理的な付託への裏切り行為だと指摘してます。

 刑法第38条では、「故意」にかかる規定として、「罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。」としています。つまり過失犯は、「法律に特別の規定」がある場合の特例となります。

 法の下の平等という観点からは、高度専門性があるからとかいう理由で、適用除外となるというのも、納得いくものではないような気もしますが、「過失」というものをやたら刑事事件化し、システムの改善を妨げているのは、あまり良い仕組みではないのだろうなとは思いました。 (最後の記事へ

「ヒューマンエラーを裁けるか」を読みました!記事一覧

 

「ヒューマンエラーは裁けるか」を読みました!
 後知恵バイアス ~「ヒューマンエラーは裁けるか」を読みました!その2~
 技術的エラーと規範的エラー ~「ヒューマンエラーは裁けるか」を読みました!その3~
 司法の「介入」 ~「ヒューマンエラーは裁けるかを読みました!その4~
 公正な文化に対する3つの問い ~「ヒューマンエラーは裁けるか」を読みました!その5~

 

 

 

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