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2018年1月20日 (土)

愛宕神社 出世の階段 ~浜松町から赤坂まで歩きました!その8~

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 愛宕神社は、慶長 8 年(西暦1603紀元2263)、江戸に幕府を設く徳川家康公の命により防火の神様として祀られ、また、家康が信仰した勝軍地蔵菩薩を勧請、同社の本地仏として別当寺の円福寺に祀ったことに始るとのこと。

 愛宕神社のあるあたりは、愛宕山と呼ばれる自然の山で、写真の出世の階段の脇には、山の証である三角点があるとのこと。

 標高は25.7mで、天然の「山」では23区一だそうです。

 出世の階段とは、講談で有名だそうですが、曲垣平九郎(まがき・へいくろう)の故事にちなみます。以下は、愛宕神社のホームページにある逸話です。

 時は寛永11年、江戸三代将軍、家光公が将軍家の菩提寺である芝の増上寺にご参詣のお帰りに、ここ愛宕神社の下を通りました。 折しも春、愛宕山には源平の梅が満開。家光公は、その梅を目にされ、 「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」と命ぜられました。

 しかしこの愛宕山の石段はとても急勾配。歩いてのぼり降りをするのすら、ちょっと勇気が必要なのに、馬でこの石段をのぼって梅を取ってくることなど、とてもできそうにありません。 下手すれば、よくて重傷、悪ければ命を落としそう。家臣たちは、みな一様に下を向いております。 家光公は、みるみる機嫌が悪くなり、もう少したてば、怒りバクハツ!というそのときに、この石段をパカッ、パカッ、パカッとのぼりはじめた者がおりました。

 家光公。その者の顔に見覚えがありません。 「あの者は誰だ」 近習の臣に知る者はありません。 「おそれながら」 「おう」 「あの者は四国丸亀藩の家臣で曲垣平九郎(まがき・へいくろう)と申す者でございます」 「そうか。この泰平の世に馬術の稽古怠りなきこと、まことにあっぱれである」

 平九郎は見事、山上の梅を手折り、馬にて石段をのぼり降りし、家光公に梅を献上いたしました。 平九郎は家光公より「日本一の馬術の名人」と讃えられ、その名は一日にして全国にとどろいたと伝えられております。

 この出世の階段、自然地形をそのまま活かしたということもあるのでしょうが、現代であれば、踊り場が必ずありますが、それがないのも困難さの一つなのでしょう。

 階段の構成も技術の進歩を示す歴史の一つだなあと感じました。(次の記事へ

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