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2017年10月18日 (水)

全生庵 ~谷根千を歩きました!その14~

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 黄金の大観音が目立つ墓苑のあるこの寺は、全生庵。幕末の三舟の一人、山岡鉄舟が、幕末・維新の時代に、国事に殉じた人々を弔うために、建立したとのこと。

 幕末の三舟とは、幕末から明治初期に活躍した幕臣、勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟の3人。江戸の無血開城の際、西郷隆盛との交渉に携わった3人です。正確には、高橋泥舟は、関わっていなかったようですが。

 無血開城に先立ち、勝海舟は、徳川慶喜から戦後処理を一任されます。勝海舟と西郷の会談に先立ち、駿府に駐留していた官軍のもとに書を送ろうとして、高橋泥舟を派遣しようとしたが、当時、泥舟は遊撃隊頭取となっており、慶喜の警固から離れることができなかった。

 泥舟の推薦したのが、義弟の山岡鉄舟。鉄舟は、単身、駿府に乗り込み、西郷と会見。西郷は、慶喜を備前藩に預けるとの条件を提示したが、それを拒否。

 死を覚悟して最後まで主君への忠義を貫かんとする赤誠に触れ、心を動かされ、慶喜の身の安全を保証したとの由。

 西郷は、その人柄を評し、「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」と称賛したとのこと。西郷と相通じるものがあったのかもしれません。

 こちらには、山岡鉄舟のほか、三遊亭圓朝、「春よこい」を作曲した弘田龍太郎の墓があります。

 三遊亭圓朝というと、以前、旧居跡を訪れたことがありました。落語の中興の祖であり、明治の言文一致運動にも大きな影響を与えた人です。

 この寺には、三遊亭圓朝のコレクションの幽霊画が保管されており、毎年命日の近くに公開されるとのこと。また、落語協会や円楽一門がそのころ、イベントを開催しているそうです。(次の記事へ

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