水天宮(弁財天) ~日本橋七福神めぐりに行きました!その3~
まず起点は水天宮です。 水天宮には、天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)、安徳天皇、建礼門院、二位の尼 が祀られています。
安徳天皇は、平家物語で有名な壇之浦で水死した幼帝です。安徳天皇の母、建礼門院に仕えていた女官、按察使局(あぜちのつぼね)伊勢は、壇之浦の戦いの後、千歳川(現筑後川)の辺り鷺野ヶ原(さぎのがはら)に遁れて来て、建久初年(西暦1190紀元1850)初めて水天宮を祀ったそうです。
有馬藩2代目当主 有馬忠頼は久留米に社殿を寄進し、それ以降も歴代藩主により水天宮を崇敬していた。第9代藩主 有馬頼徳公は、参勤交代の折も参詣できるよう、文政元年(西暦1818年紀元2478年)に藩邸内に勧進。藩邸内にあったため、一般人の参詣は難しかったが、当時も江戸内にて信仰を集めていた水天宮。塀越しに賽銭を投げ入れるものも後を絶たず、毎月5日の日には、屋敷の門を開き、人々の参詣を許したとか。
そのことから、「情け有馬の水天宮」の地口が広がったとか。
2枚目の写真は、寳生辨財天(ほうしょうべんざいてん)。江戸の頃、有馬藩上屋敷内に、市杵島姫(いちきしまひめ)神も祀られていて、有馬頼徳公は加賀の前田斉広(まえだなりなが)公と能楽の技をを競った際、弁財天に願をかけ、勝利をおさめたとか。
市杵島姫神は、天照大神と須佐之男命の誓約の際、天照大神が須佐之男命の剣を噛んで生じた霧から生まれた三柱の女神のうちの一柱ですが、神仏習合の際、弁財天と同神とされたとか。
七福神めぐりとしては、こちらがメインとなりますね。(次の記事へ)
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