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2016年6月11日 (土)

長州藩大砲鋳造所跡 ~東陽町付近を歩きました!その2~

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 東陽町の南側、越中島の貨物駅付近まで歩き、北側に戻ります。越中島付近は、交通の世界では、結構重要なところのようで、貨物駅のほか、長距離のバスの控え場所などもあるようです。

 そういえば、歩いている際、バスが多く走っていたような。

 話は変わりますが、よく東京で大型のダンプなどが、幹線道路沿いにハザード駐車して仮眠を取っている風景を目にします。あれなどは、大変危険でもありますし、幹線道路の機能を損なうという意味で、問題だと思うのですが、運行管理者や工事施主の責任を問うような仕組みにしないとなかなか泣くならないのではないでしょうか。

 それはさておき、東陽町駅の北側にある緑道に入ります。こちらは実は、都電の廃線跡。都電は本来は、路面電車なんですが、現在残っている東京の路面電車同様、一部、専用軌道をもっているときもあったのでしょう。

 この路線は、バス化後、緑道となったわけです。

 その中にあるブロンズ製の大砲。こちらは、現在、パリのアンヴァリッド(廃兵院)に保存されているものをモデルに作成されたものです。実物は3mあるとの由。

 フランスにある大砲は、三浦に設置後、下関に移され、下関戦争の戦利品として、フランスに渡ったものです。フランスは自由や文化の国とのイメージがありますが、当時の、植民地争奪戦の主要なプレイヤー。フランス語が現在でも世界で流通しているのはその影響ですね。

 このあたりは、当時、長州藩主松平大膳太夫の屋敷があり、三浦半島の砲台に備え付ける大砲を鋳造するため、同藩の鋳物師郡司右平次(喜平次)を江戸に呼び寄せ、嘉永7年(安政元年)に幕府の許可を得て、佐久間象山の指導のもと、この屋敷内で36門の大砲を鋳造したとのこと。

 幕末は、幕府と新政府の争いと描かれることも多いですが、実は欧米列強が虎視眈々と狙う中でのドラマだったと、改めて感じさせるモニュメントです。

東陽町付近を歩きました!記事一覧

 東陽町付近を歩きました!その1 洲崎球場跡
 長州藩大砲鋳造所跡 ~東陽町付近を歩きました!その2~
 城東電車跡地 ~東陽町付近を歩きました!その3~
 城東電軌こ線ガード ~東陽町付近を歩きました!その4~
 越中島支線 ~東陽町付近を歩きました!その5~
 小名木川駅跡 ~東陽町付近を歩きました!その6~

 

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