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2013年9月11日 (水)

福島原発事故の不起訴処分は納得できますが、告発者側の責任は問われなくて良いのでしょうか。

 東京電力福島第一原発の事故をめぐり、検察当局は9日、業務上過失致死傷などの疑いで告訴・告発された東電幹部や政府関係者ら42人全員を不起訴処分にし、発表した。

(中略)

 東日本大震災と同規模の地震や津波は、発生以前に専門家らの間で「全く想定されていなかった」と指摘。東電の津波対策は不十分ではないと結論づけ、勝俣前会長らを嫌疑不十分とした。菅元首相らは原子炉格納容器の圧力を下げるベント(排気)の遅れで原発建屋の水素爆発を招いたと告発されたが、作業員の被曝を避ける準備に時間を要したためだとして「嫌疑なし」とされた。

 災害が置きた際に、その被害を他人のせいにするのは、非常に違和感があります。ましてや刑事責任というのは。スケープゴート作りや魔女狩りのようですね。

 では、そういった反応を示す人たちの責任は問えないのでしょうか。

 刑事訴訟法では、下記のような規定があります。

第二百三十条 犯罪により害を被つた者は、告訴をすることができる。

第二百三十九条 何人でも、犯罪があると思料するときは、告発をすることができる。

 そもそも、災害が犯罪かどうかというのが、問題なのですが、告訴や告発を行う人間の「責任」を問う条文は見当たりません。「責任」を問うことにより、犯罪が告発されないことのほうの弊害のほうが大きいからでしょう。

 しかし、スケープゴート作りや魔女狩りを放置していいとは思えません。

 災害が起きた際の対応者の責任を問うなどというのは、救助者になろうというものを減らすようなもの。そのような行為を助長する者も含めて、社会の信頼性を著しく損なっていると思います。

 もちろん、東京電力の責任がないという訳ではありません。特に被害想定の設定については、あまりにもご都合主義すぎたとの批判はあってしかるべきでしょう。

 しかし、被害想定=想定がなかったという時点で、刑事責任と違和感が生じます。

 それ以上の責任追及は、民事が適当なのではないでしょうか。

 「告発の責任」、それは、その人たちの行動に対する社会の評価で贖われるべきでしょう。

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