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2012年4月14日 (土)

八甲田山 死の彷徨を読みました。

 昔、映画になって一世を風靡したお話ですね。「天は我を見放したか」「寝てはいかん。寝たら死ぬぞ」などは、流行語になった記憶があります。

 私は、映画は見ていなかったので、原作を読んでみようと思っていたのですが、今回、初めて読むことにしました。

 小説では、日露戦争前夜にて、日露の緊張が高まる中、第4旅団長が青森第5聯隊と弘前31聯隊に対し競わせるように山岳雪中行軍を命じたとの設定になっています。

 下記のサイトでは、2つの行軍は別の計画であるとの立場をとっており、その立場からするとこの話は、あくまで小説であり、史実とは異なるということになります。

http://homepage3.nifty.com/ki43/heiki8/hakkouda/hakkouda.html

http://toshibos-museum.com/hakkouda_TOP.htm 

 弘前31聯隊では指揮官となった徳島大尉が隊員を厳選し少数精鋭としたのに対し、青森第5聯隊では指揮官の神田大尉は、細事にわたり大隊長の山田少佐の指揮を仰がなければならない状況でした。

 この小説の大部分は、山田少佐の介入による指揮系統の混乱(?)を描くことに力点がおかれています。指揮系統の混乱との表現がありますが、混乱というより、仕事をまかせない上司ということになるのでしょう。上職位のものが、下職位のものの権限を奪うということは、上職位のものが自分の仕事をしていないということにつながります。つまり少佐が大尉の仕事を奪うことによって、少佐は大尉の役割しか実は果たしていなかったということなのです。雪山への対応といった細部の研究を行っている時間はないため、次々と誤った判断を行っていきます。

 権力関係で規定された議論は、まともなものにはなりにくいといった特色があります。例えば、神田大尉が雪中行軍を安易に考えているものが多いため、出発に際しての諸注意の進言をするシーンがありました。しかし、山田少佐は皆が準備で忙しいとあっさり却下します。「皆が準備で忙しい」という部分的な「正しさ」で、「雪中行軍を安易に考えているものが多い」との懸念を取り上げないとの判断です。しかし、その懸念に対しては何も手を打たれていないわけですので、議論としては成り立っていません。権力関係の中では、そのままスルーしてしまう特色があるのです。

 この件は、装備の貧弱さが部隊に大きな被害を生じさせたことの遠因となりました。

 新田次郎さんは、こういう人物や人間関係を描きたかったのでしょう。山田少佐の判断がことごとく失敗していく様が描かれます。

 そのほか、案内人に対する士族(軍)の差別意識等もテーマになっているように感じましたが、無理があるのが、軍の人体実験との記述です。

 先に述べたように、設定そのものが、小説独自なのにもかかわらず、軍自体の方針のように書いているからです。軍の非人間性を描きたかったのでしょうが、本当の意味でのその側面は、訓練時には現れないでしょうから、かなり無理があるなと感じました。

 もうひとつ感心しなかったのが、時折、史実の人名を出していることです。これは小説として、かなりの脚色をしているのにも関わらず、作品の中に史実の人名を出すのは、不公平ではないでしょうか。小説はルポルタージュではないので、史実との関連性を示すことはストイックであるべきです。細部の脚色は、書いた本人にとっては細部かもしれませんが、見方によっては、重要な要素になることもあるかもしれないからです。

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