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2010年9月14日 (火)

積立方式で始まったはずの年金制度は、なぜ途中から賦課方式と説明されるようになったのか?

 私は、ホームページをgooを設定しているのですが、そこのニュースリンクにダイアモンドオンラインの記事がときどき配信されます。

 昨日、タイトルの名前で、超整理法で有名な野口悠紀雄先生が記事を書いています。

http://diamond.jp/articles/-/9355

 この記事では、70年代(「福祉元年」)に年金制度が積立方式から賦課方式と説明が変更されたと批判されています。

 この記事では(続きものなので、後から説明があるのかもしれませんが)そのあたりの詳しい経緯は書かれていませんが、下記の本では、詳しく説明されています。

 「日本社会保障の歴史」は、私が持っている版は、1998年5月発行の第5版です。特に年金制度の変遷についてはよく記載されており、Ⅲ 社会保障制度拡充期 第2章 年金保険の拡充・展開では、そこのあたりも解説されています。

 「福祉元年」(1973年)当時、年金給付水準の引き上げが行われ、ILO128号条約の水準を達成するとした経緯等や当時の政治情勢等にも触れられています。

 一方で、修正積立方式及び段階保険料方式を財政方式に採用しているため、国庫負担の増額と後代への負担の先送りに依存したと分析しています。

 野口先生の記事では、今のところ、年金当局が説明を変えたということと、「当初」の制度設計に問題があったということを次回以降の予告で述べられています。

 「当初」のというのは、いつのことを指すのかは、次回以降の記事を読まないとなんともいえませんが、紹介した「日本社会保障の歴史」では、1939年の船員保険法の成立までさかのぼります。それが1959年の国民年金法の成立の時期を、分立型国民年金体制の確立として、章立てされています。 

 分立型というのは、色々な経緯があり、難しい面があるといえるでしょう。

 福祉元年は、当時の田中角栄内閣の政策です。当時の厚生大臣は、斎藤邦吉氏。もはやいずれも鬼籍の方ですね。

 年金制度の政策決定は、当時の決定が30年以上たっても影響するという長いスパンのものですね。今後、年金制度は、世代間の不公平の象徴として、議論の俎上にあがっていくかもしれません。

 積立方式と賦課方式の論理矛盾は日本の年金が抱えているひとつの問題だとは思いますが、一方で、色々な経緯も考えなくてはならないのではないでしょうか。

 

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