ポピュリズムと法治主義 地震予知の過失致死捜査考
イタリアで、地震予知に失敗した学者に対して過失致死で捜査が行われたとのニュースが配信されています。
http://www.asahi.com/international/update/0605/TKY201006050109.html
記事の概要
300人以上が犠牲になった昨年4月のイタリア中部地震で、国の専門委員会が地震予知に失敗したことで被害が拡大したとして、被災地ラクイラの検察当局は4日までに、専門家ら7人に対して過失致死の疑いで捜査を開始した。 ラクイラ付近では2008年12月以降、地震が頻発。そのため政府の災害対策機関「民間防災局」の専門委員会が地震学者らと協議。09年3月31日に地元自治体などに対し、大地震発生に結びつくものではないと報告した。地元の研究者が同時期にインターネットのサイト上で「警告」を発していたが、政府は「パニックを引き起こす」として削除させていた。しかし、4月6日未明にマグニチュード6.3の地震が発生した。
***記事概要終わり***
他国の話ですので、法制度がどうなっているかというのが定かではないので、この対応自体へのコメントではないのですが、仮に日本で地震がおき、その予測ができなかったという形で、検察当局が捜査を開始ともなった場合であれば、かなり恣意的な問題の多い捜査だといえるでしょう。
地震のような天災や大規模な人災がおこった際に、誰かのせい(責任)にしたいという感情が表れるのは、よくあることです。しかし、その責任が結果論ではなく、プロセスから見て当然だったかや、感情に伴うバイアスがかかっていないかを冷静に精査されていない責任追及は、決して適当なものとはいえません。
ましてや犯罪として捜査を行うのであれば、事前にその責任の範疇が社会の中で明文化された形で規定されていなければ、適切とはいえないでしょう。
とはいいつつも、「誰かのせいにしたい」という感情から「世論」の圧力、スケープゴート探しの圧力が有形無形に捜査機関にかかる可能性があります。政治家が行うのであればポピュリズムとして非難されるべき行為です。
犯罪の構成要件は、なるべく明文化し、捜査機関に委ねないことは、捜査機関を守るためにも必要なのではないでしょうか。
捜査機関は、いったん前例として、捜査を行うと、公平さのために同様の対応をとらざるを得なくなる可能性があります。結果として、悪質性の低い行為が、いつの間にか「悪いこと」とされてしまう可能性があります。
以前、書いた「ツールナイフと銃刀法」も同じような構図があるような気がしました。
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