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2006年11月20日 (月)

「いじめを許す心理」 傍観者層が果たす役割

 11月1日の『「いじめ報道」のブログでの反応』で紹介した「いじめを許す心理」ですが、その際、コメント等で引用した概念がわかりにくいのではないかと思われたので、改めて紹介します。

  この本は、すでに絶版になっているようで、左記のものも新古書(?)というのでしょうか、かなりの価格になっています。ただし左記のカスタマーレビューは、なかなか秀逸だと思うので、一読する価値があると思います。

 この手の本を読む際は、公共図書館が良いのでしょうね。最近は、インターネットで予約を受け付けるところもありますし、直接相談すれば、結構いろいろな所から探してくれるようです。

 さて、本書において、著者は、いじめについての調査の国際比較から日本のいじめでは、いじめられた子の特性が見えにくいことに着眼します。そして日本のいじめが、集団内暴力であることが多いことなどから、いじめるものに「賛同する」もの(これは容認等という形で黙認・追随することも含みます。)が大きく影響しているのではないかとの仮説を立てています。

 そしていじめのあるクラスとそうでないクラスに質問紙法により、調査を行い、傍観者的な行動を取るものの数が倍近くになることを実証しました。

 さて傍観者がいじめの成立につながるメカニズムを著者は、外交用語の「友好的中立」という言葉を使って説明しています。

 「いじめ」という行為の「攻撃」は、継続的・反復的であればこそ深刻化します。そういったことが行われているということは、集団内(学校であれば、クラスということになります。)で認識されるはずですが、加害者に対し批判的な態度を示さないことが、加害者を勢いづかせることになります。

 「友好」とはいかなくても、「攻撃される側にも一分の非があるのでは」との態度が、攻撃の活性化に一役買うということなのです。

 私のこれを読んだ感想としては、こういったメカニズムの発生は、日本人の「場」に依存する社会性の影響もあるのではないかとの印象があります。日本人では、「ムラ」、「会社」など、同一の場にある人々との濃密な人間関係を築くことが特色のひとつだといわれています。ムラ社会では、全員のコンセサンスが各成員の行動に大きく影響しますが、それは問題行動でも同様であるということなのでしょう。

 問題は、未成熟な価値観と社会性しか持っていない子ども社会において、その現象が起こっているということなのでしょう。

 「いじめを許す心理」では、いじめを容認するメカニズムとして、「認知的不協和」というプロセスをたどり自己正当化するプロセスと、クラスの批判動向により態度を決める付和雷同的態度の影響をあげていますが、それらは又のちほど、記事化したいと思います。

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